それは祝福である
なし崩し的に始めたこのサイト。
ブログを全部引っ越しできたらよかったのだが、できるかもしれないけれどやり方がわからない。
写真を増やしつつあるが、一枚一枚コメントもつけられるのだろうが、なにせわからないので、ただ貼り付けている。始めてしまったけれど、いいのか、続けて?せめて系統立てて貼り付けたいけれど、性格がそうさせない。
瞑想中に自分の気があちこちに散らばっていることに気がついたら、自分の体の中心に自分のかけらを集める意図とイメージを使う。体の中心の線が太くなるような感覚になるので、きっとやはり自分のかけらが集められているのだろうと思う。
平和への祈りの際に、むろん世界で多くの人たちが祈っていることを感じながら祈っているのだが、近頃はさらに多くの人たちの祈りを感じる。とてもキラキラした光が世界中で輝いているイメージだ。
何かを成し遂げる必要もないし、
自分が何者かを誰かに証明する必要もない。
ただ、存在することで誰かを何かを支えられることもある。
これほども多くの人たちが願っていることが、
どうしてかなわずにいられようか。
大きなエネルギーが集まり始めている。
視点を上に上げるのではなく、
視点はあくまで自分の中心におきながら、
後ろにも前にも流されず、
ただ「今、ここに」居つづける。
それはおそらく難しいことではない。
なぜなら、実際存在するのは「今」だけなのだから。
何かをすることについて、あるいは何かをしないことについてなんの言い訳も必要ない。
そのまま、ただそうすればいい。
そしてただ在りつづける。
衝動に任せる時もあるだろう。
周到に準備することもあるだろう。
どちらも正解だ。
そしてどちらでもいいことだ。
ただ全ての結果は自分で負わなければならない。
それだけが唯一のルールだ。
実に簡単だ。
人生を必要以上に複雑にする必要はない。
あなたがいる。
ただそれだけだ。
すべてあなたに与えられている。
あなたはとても自由だ。
もし不自由さを感じているならば
それは誰かがそうしたのだろうか?
いや、あなたは知っているはずだ。
すべてはあなたが決めたことだと。
あなたが身にまとっているものは思いのほか多いかもしれない。
誰かがそれをあなたに押しつけたのだろうか?
いや、あなたは自分でそれを身にまとったのだ。
その結果はすべて自分で味わい尽くさなければならない。
だが、忘れないで欲しい。
これは罰ではないのだ。
むしろ祝福だ。
あなたはそれを糧により大きく成長していく。
それがあなたの望みであるからだ。
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