来年に向けて
今日受け取ったメッセージ、いくつか。多分に来年へのアドバイスのような感じがした。
ヴィジョンで伝えられたもの。道が目の前に現れた。明るい色のアーチがいくつかその道にかかっている。その道を歩いていたらいきなり道がばっくりと下に割れて、奈落に突き落とされたような感覚に陥った。(嫌だ!落ちたくない!)と思った瞬間、伝えられた言葉。「それも道の一つである」と。そしてその言葉の後に道が前だけでなく、上にも横にもあらゆる方向にわっと増えていった。そして「ジャッジするな!」という言葉がやってきた。
確かに、一見落ちるような方向へ進むことも道の一つである。それが必要な過程であるならば、それはやはり道である。できるならば前に進む道を歩みたいが、それでも必要とあらば真っ逆さまに落ちていくような道も歩まねばならないのだろう。その場その場の判断をせず、起こることを全て受け入れていく。今はわからなくとも、いつかその奈落への道も必要な過程だったとわかるかもしれない。だから、こわがらず、その道に沿うていくことだ。
人生に近道などない。ただ必要な道があるのみ。目の前に現れるできごとに愚直に向き合うこと。
2つめのメッセージは言葉だった。
「思いっきりやってみなはれ!」(ニュアンスとしては標準語ではなく関西風だったんだ)
これ、結構、痛い言葉だ。私はほぼほぼ何かを思いっきりやった記憶がない。仕事にしろ、真面目にはやっていても、しなければならないことだから残業も結構していたけれど、それは思いっきり打ち込んでいるにはほど遠い。私生活でも何かに思いっきり打ち込んだことなんて思いつかない。頑張っても60%~70%ぐらいなんだ。全力ってのがどれほどのことなのか想像もつかない。我ながら人生なめてるなあと思ってしまう。
でも確かにこのまま最後まで続けていたらものすごく後悔しそうだ。しょっちゅうとはいわないけれど、一度ぐらい全力で何かにぶつかってみてもいいのではないか。
モドリッチのことをただ感心しているだけでなく、彼のようにちょっと何かに頑張ってみてもしいのではないか?
3つめのメッセージは言葉ともヴィジョンとも違う。何かとても楽しい雰囲気。心躍るような気持ち。色で言えば黄色の小さな音符があちこち跳ね回っている感じ。
私が受け取ったメッセージは「楽しむこと!」これからの私の在り方について、修行ではないのだと。もっと一緒に楽しもうと誘われているような感じ。「何の為に生まれてきた?忘れちゃだめでしょう」って。確かに眉間にしわを寄せて時間を過ごすのはもったいない。その気になればもっともっとこの世界を楽しめるはずだ。
それぞれのメッセージはそんな突飛なことを伝えているわけではない。
残りの自分の人生をもっと輝かせるために、起きることを受け入れ、自分をごまかさずにそれを体験していく。集中するところは全力で集中する。だが深刻になりすぎずに楽しみながら続けていく。
あと2週間弱で来年を迎えるにあたり、私は心を改められるのか?
あんまり自信がないけれど、とにかくメッセージはちゃんと受け取った。
折りに触れ、思い出せたらいいけれどね。(すでに弱気モードだな)
全てに感謝です。
この樹、どこで撮ったのかわすれたけれど、すごいね。清浄な場には樹と空間がある。そこに人々の祈りが重ねられると本当にピンと張った場所になるのが興味深い。
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