今年もこの日がやってきた

毎年、12月8日になるとジョン・レノンが殺されたと知った時の衝撃を思い出す。

一言で言えば、「やられたっ!」という思い。

失ってはいけない人をやられてしまったって・・・。

あれからちょうど40年が経つ。

生きていれば80歳。

ビートルズの中で好きだったのはジョージとジョン。2人とも死んでしまった。


ただ、幸いなことに彼らは「Imagine」と「Here comes the sun」を残してくれた。


「Imagine」にどれほど助けられたか・・・。もう何もかもいやになって、もうどうでもよくなって、もううんざりだ・・・と思う時に、「You may say I'm a dreamer, but I'm not the only one」と彼の声が聞こえてくると、夢を捨ててはだめだと思うのだ。希望を失ってはそこでおしまいになる。だから前に進まなくてもいい、ただ希望だけは抱き続けていようと思い直すことができるのだ。


愛や恋の歌だけなら彼は殺されなかったかもしれない。だが、彼は「Imagine」を創った。


残念ながら彼が死んで40年経った今でも平和はほど遠く、我々は愚かだ。

だが、明らかにこれまでと異なる流れも生まれ始めている。

新しい時代が近づいているような気がする。今までと異なる価値観、今までと異なるつながり、今までと異なる夢が少しずつ広がっているように感じる。


昨日瞑想していて、ふと気がついた。

これまで私は祈りの拠点、祈りの基地がほしいと願っていた。だからそれを創ろうと思っていた。だが、今でもできることがあるのだ。何も物理的な基地、「場」がなくとも、私が今まで訪れ、祈りを共にした場所に呼びかけ、つながり、共に祈ることで今自分がいるこの「場」をで祈りの基地とすることができるのだと・・・。

そしてやってみた。

世界が一つになるようにという祈りはそれが可能だと伝えてくれた自然と心を合わせた。

平和への祈りは同じ願いを持つ世界の多くの人たちの祈りと心を合わせた。

子どもたちへの祈りは子を愛する多くの親の願いと心を合わせた。

何度も何度も祈った。何かが少し広がっていくような気がした。


物理的に形が整わないと何もできないというのは言い訳だ。

思いがあれば、意図があれば何もかもはできなくとも、何かはできる。

昨日はそのことを学んだ。



先日、飛鳥の石舞台に行った。

その日の太陽が何か特別な気がして、石舞台の中から見たらどんな風に見えるのか知りたかったので。



普通はこんな感じ。

でもある地点ではとても美しい光がやってくる。



光だけを撮ると


まだまだ自分の30%ぐらいしか生きていない感じがする。

世界はとても広く、不思議に満ちていて、面白いことだらけなのに、かたくなに目を閉じて新しい何かが入ってくるのを拒もうとするのは何故なのかな。


うまく生きるのは十分やっていた。

残りの20年は面白く生きていこう。そうすればそれがたとえ20年にはならなくて、たった20日の命となったとしても後悔することはないだろう。


全てに感謝です。

宙海の音(Sorami no Oto)

ようこそ、宙海の音へ。 ここは「天に在るように地にある」べく、日々暮らしながら、世界が美しいものであふれていることを記録にとどめるためのサイトです。 宙海の音とは瞑想中に出会う空間で、そこでは全ての存在がそれぞれ固有の音を響かせながら 一つの完全に美しい音としてその空間に広がっている音のことです。 どの音もすべて必要な音であり、どの音が欠けてもそれはもう宙海の音ではないのです。

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