少し修正が必要

今少し考えようとしていることがある。

植物との関わり、自然との関わりについて、少し考えを変えた方がいいのかもしれない。先日、Meganからフィンドホーンの3人の創始者たちの話を聞いた。特に印象に残ったのはドロシー・マクレーンの植物との関わり方だ。


私はある程度木々と交流が可能だと思っている。だが、きっとこんなものではないのだ。もっと対等に、もっと協働できるのだろう。何か根本的なところで自分の考えに手直しが必要な気がする。今の私の考えは人と植物ができることについてものすごく可能性を狭めているようだ。そしておそらく石もそうだろう。もっと近づけるはずのようだ。


だから今日アマゾンでドロシー・マクレーンの本を含め、フィンドホーン関連の本を3冊注文した。コミュニティの在り方よりもどちらかというと今は自然との関わり方に興味が湧き始めている。


一方で、具体的な人との関わり方が自分の課題で、それと向き合う時期が来ていると感じている。自然と関わることはどこか人里離れた場所に隠遁生活をするようなイメージがあるので少し矛盾しているようにも見えるが、この気づきが同じ時期にやってきているということはきっとどちらにも関連し合うことなのだろう。


なんだか着々と用意されている道を歩んでいるような気がしている。ちょっとゾクゾクするね。この植物との関わり、自然との関わりは思い出す作業なのか、新たに得るものなのかどちらだろう。どちらでもあるようだ。一部は思い出す作業であり、一部は新たな課題だ。これも人との関わりと同じように具体的な自然・・・一般論にしない自然との関わりを学ぶのだろう。個々の木々、個々の植物、花々・・・一つ一つにちゃんと正面から向き合うこと。話をすること。感情を交流させること。植物の思いを知ろうとすること。きっとやはりテーマは同じだ。


面白いね。外側は何も動いていないのに、内側がすごく動いている。本当に面白い。



宙海の音(Sorami no Oto)

ようこそ、宙海の音へ。 ここは「天に在るように地にある」べく、日々暮らしながら、世界が美しいものであふれていることを記録にとどめるためのサイトです。 宙海の音とは瞑想中に出会う空間で、そこでは全ての存在がそれぞれ固有の音を響かせながら 一つの完全に美しい音としてその空間に広がっている音のことです。 どの音もすべて必要な音であり、どの音が欠けてもそれはもう宙海の音ではないのです。

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