光の世界のその先
今日はまほらの瞑想セミナー「Light body Evolution」を受けてきた。
瞑想は自分であまりやらなくなっているけれど、いろいろその時点の自分に必要な気づきが得られるので、今の自分の立ち位置を確かめるために参加しているようなところがある。
今日6つ瞑想があったが、印象深かったのは最後の2つ。
まず5つめ。自分の内から光があふれてくると、自分のコアから360℃全方向に張り巡らされた光のネットワークのようなものを通じて光が周囲に広がっていく。与えるだけでなく受け取ることにも意識を向けると、与える、受け取る・・・という概念が消え、ただネットワークに光があふれる現象だけになり、自分自身がネットワークと同化していく。やがて、自分の体がさらに内から光を増していき、周囲はさらに光の世界になっていく。すると前方に光のトンネルのようなさらにまぶしい光の世界が見える。その世界に入っていくために、半透明の衣のようなものを脱ぎ捨て、より身軽になって、意識をさらに上げていく感覚でその先の光の世界に入っていく。
入っていくと周囲のエネルギーがあきらかに違っている。より意識は広がり、精妙でクリアでピーンと張りつめた世界にいる感覚になる。そこにしばらく同調していると、さらにその先の光の世界があることに気づき、また次元を上げていく感覚でさらに次の光の世界に入っていく。一つの世界を単独で見ているととてもまぶしい光の世界なのに、比較をすると明らかによりまぶしい光の世界になっていくのだ。光の世界は単一ではなく、ここにも次元があって、自分がまだ入っていけないがまだまだ先にもさらなる光の世界があるのがわかる。言葉は消えていき、ただその場のエネルギーの体感を追うのみだ。
この体験、体感のあと、6つめの瞑想で自分が気にかかっていることに向き合う。私は先週の瞑想の中で見た『自分と価値観を共にしない人たちとつながっていくこと』について向き合った。とても広い部屋で何か薄ぼんやりとした塊が部屋を席巻している。それはぼんやりと人の形をしたものがぎっしりと集まっている姿。それに対して恐れがある。その数の多さに、そして明らかに異質の自分が否定されることに。少数が多数に圧倒され、否定されることへの怖れ。その塊の中に入っていくとあっという間に周囲からむさぼられていく。みるみる私は形を失う。私はなんの痕跡も残せず消えていく。このとき私は殉教者のような気持ちになった。犠牲になって身を献げた気分だった。
まったく形を失い、自分の意識だけが残ったとき、自分の内側にある湧き出る光の泉を思い出した。すると、私はたちまちよみがえり、周囲から私の内なる光をむさぼられてもむさぼられても私が内から発する光は尽きない。やがて全体のぼんやりしていた形がだんだんと鮮やかな緑色になり、全体が生気を取り戻したようになった。
その部屋にはニューワールドにつながる大きなドアがあるのだが、いつの間にかその部屋そのものがニューワールドに変わっていった。
自分を殉教者、犠牲者と見なしたら私の内なる光は一瞬で消え失せる。だが、自分の内なる光が尽きないことを信頼していれば決してむさぼられ尽くすことはない。視点を変えれば現象が変わる。おそらく自分と価値観を異なる人たちとのつながり方のヒントの一つだと思う。
それと同時に気づいたこと。5つめの瞑想で垣間見た世界と現実の世界の乖離に、なんのためにこんな体感を体験したのかを考えていたのだが、より光の世界を体感することによって私の内なる光がさらに増し、それが周囲に影響を与え始め、現実の自分にも変化を与えていくのだ。だからこういう体感は乖離を生じるのではなく、より変化を生み出すきっかけになり得るようだ。
とてもうまくできている。
今日の気づきと出会いとすべてに感謝です。
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