全てが他人で、全てが自分

今日はまほらの高次のガイドとともに学ぶシリーズ「Light of Star Children☆ Space Flower Infinity・New World」の2日目だった。前回から3週間ほど間がある。

このシリーズは参加するたびにいつも何かしら新たな気づきがあるので、毎回参加するのが楽しみだし、実際、ここで得た体感やヴィジョンが現実世界の各体験と同じように結果的に自分を変える一因にもなってきたと感じる。


そして今日もいくつか新たな気づきを得ることができた。


瞑想の途中で本来の流れと関係ないところでとてもまぶしい光がやってきて私の中に入ってくる。

遠い過去の何かを思い出すことを促される。約束のような何か。このメッセージは最近何度か受け取っている。過去私がよく知っていたことを今の時代だからこそ思い出す必要があるというもの。


次の瞑想でそのことについてフォーカスした。するとでてきたのは一つの過去世でエジプト(?)でとても小さいころから神の信託を告げる役割をしていた女性。この女性は周囲からとても尊敬され、大切に扱われていた。彼女は自分の中の素朴な子どもらしい部分を抑圧し、人々の役に立つ自分を選び続けた。その彼女が生きなかった側面、抑圧した側面も彼女自身の大事な一部だったことに瞑想の中で気づいた。


そしてその部分はどの私の人生でもかなり抑圧してきたことにも気づいた。今の私も形は異なるが役立つ人間でいることを証明して自分の居場所を見いだそうとしてきた。役に立つから存在を許される・・・役に立たなければ存在の意味がない・・・。そんな信念が未だに自分の奥底にある。


だがそうではないと伝えられた。

様々な感情、好奇心、感覚、生きる喜び・・・役に立っても立たなくてもただ存在することが楽しくて仕方がない・・・そんな生き方があるのだと・・・。


これも私なのだ。私が選んでこなかった私なのだ。

瞑想の中で私はこの選ばなかった生き方をした自分自身も自分の中に統合していった。

まっすぐな白い柱が自分の内にできていき、統合された私は白い柱として肉体を超えて上下へと伸びて天と地へとつながっていく。とても安定感がでてきた。


いつの間にかニューワールドに入っている。周囲には人はいない。

私が意図すると統合された私がバラバラになり、多くの人に分かれていく。

全て他人で、全て自分自身。


この状態で自分が願う「コミュニティ」の概念を持ち込んだらものすごい違和感がでてきた。

何故か。私の「コミュニティ」の概念はとても閉鎖的だったからだ。エリアで限定され、排他的であったからだ。この気づきは衝撃的だった。私が作ろうとしているコミュニティはエリアだった。私のアプローチは根本的に間違っていた。

人は必要に応じて集まる。

場所ありきではないのだ。

集まる必要性にこそ集まる理由がある。

こんな簡単なことに気がつかなかったとは・・・。


初日の瞑想で、もう少し波動を上げたほうがいいようなことを示唆されたが、どのようにすればいいのかと思っていたら、今回の瞑想でそのヒントを示された。


楽しむこと、味わうこと、軽く、軽く、軽やかな気分でいること。

深刻になりすぎず、

面白がっていること。

長い間抑圧してきた自分のもう一つの側面を生きること。


そう気がついた。


表現が理解に追いつかない。

理解は一瞬なので、あとからそれを言語化するのはなかなか難しい。


言葉にすればそれほど多くはない。


楽しむこと。

周囲が何を求めようとただ自分自身で在り続けること。


伝えられているのはものすごくまっとうでシンプルなことだ。

だが、受取側が準備が整ってくるとより根源的なことが示唆されてくるような気がする。

そして自分への信頼がさらに増したように感じる。


最後の瞑想の中で一瞬だけ、ものすごくパワフルで特徴的なエネルギーに包まれた。

私はそれを「創造のエネルギー」だと感じた。

それに包まれていると自分が何でもできる気になるし、

何かを生み出してみたい衝動にかられる。

あのエネルギーを一瞬だけしか味わえなかったのはちょっと残念。


今日もとても興味深い体験ができた。

全てに感謝です。



宙海の音(Sorami no Oto)

ようこそ、宙海の音へ。 ここは「天に在るように地にある」べく、日々暮らしながら、世界が美しいものであふれていることを記録にとどめるためのサイトです。 宙海の音とは瞑想中に出会う空間で、そこでは全ての存在がそれぞれ固有の音を響かせながら 一つの完全に美しい音としてその空間に広がっている音のことです。 どの音もすべて必要な音であり、どの音が欠けてもそれはもう宙海の音ではないのです。

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