同じで異なる

昨日のフィンドホーンのグループ英語レッスンはなかなか難しかった。

まずディベート体験であること。

日本人である私はディベートをディベートとして体験したことがない。会議で意見を述べるのとは違う。立場を決めてひたすら意見を重ね合うのはなんだかちょっとやりにくかった。


難しいと感じたもう一つの理由はそのテーマだ。

「神とつながることによって人生はよりよくなるか」

私は練習上、この考えをサポートする側の立場だったのだが、まずこの考えを受け入れるのが難しかった。

おそらく私の「神」と彼ら欧米の人たちの「神」の概念とは違う。それを時間の関係ですりあわせないままディベートに入ったので、自分の中でまとめきれなかったし、受け入れにくかった。日本語でも難しいテーマであるしね。


私にとって「神」は宇宙の大いなる意思のようなもので、自分たちが気がつかなくても我々はいつもつながっていると思っている。だから多分、この命題も「神とのつながりを思い出したら、またはそれを信頼できたら、人生はよりよくなるか」と変えた方がいいのかもしれない。


フィンドホーンの英語クラスはあと2週間で終わる。唯一のアジア人としてはじめは違いよりも人間としての共通の部分を先に感じた。

そして1ヶ月が経ち、今度は彼らとの文化背景の違いのようなものを意識し始めている。

とても興味深い。


おそらくどちらも真実だ。

我々は同じであり、一人一人異なる。

その異なり方もどうしても共通の文化的歴史的背景があって、輪がいくつかにわかれる。

その輪を認めつつ、それでも「人」として共通意識を持っていくようになるのだろうな。


とてもよい経験をしている。


すべてに感謝です。


宙海の音(Sorami no Oto)

ようこそ、宙海の音へ。 ここは「天に在るように地にある」べく、日々暮らしながら、世界が美しいものであふれていることを記録にとどめるためのサイトです。 宙海の音とは瞑想中に出会う空間で、そこでは全ての存在がそれぞれ固有の音を響かせながら 一つの完全に美しい音としてその空間に広がっている音のことです。 どの音もすべて必要な音であり、どの音が欠けてもそれはもう宙海の音ではないのです。

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