絶対的安心感
少し前になるが、瞑想中、自分の中心と天とがまっすぐつながっている感覚にとらわれた。その時の体感は一言で言えば絶対的安心感。
自分が何をしようと何を選択しようと、それはすべて天の意思に沿うものなのでまったく心配いらないという絶対的安心。
だから何をしてもいいのだということだった。
翌日、再び瞑想してその安心感に触れようとしたが、もうその感覚はやってこなかった。
結局、またいつもの一時の気づきにすぎないのか・・・と思ってちょっとがっかりしていた。
だが、どうやら気づきは一瞬だけだったが、その絶対的安心感はすでに自分の中に備わっているように思える。
例えば、いつもの波がきて『もうだめだ、もうやってられない』と思ったら、それからまもなく自分のできることを懸命にやり抜こうとする人たちのことを伝えられた。ああ、ここにも今を生きている人がいると、自分の手の抜き具合を心から反省し、また気を取り直してやれることを続けていくことにした。
例えば、今の自分の生活があまりに英語中心になっていて、英語はあくまでツールで私の中心に置くべきものではないのにちょっとこの状態はまずいのではないか・・・と思い始めた頃、急に本棚を整理したくなって本を見直していたら長い間読まずにいたがとても心惹かれる本を一冊見つけた。それを読み始めて、それはまさしく自分の中心に据えるべきもののヒントを伝えてくれる本だとわかった。
そして思ったのだ。
天とダイレクトにつながっている安心感というのはこういうことかと・・・。
たとえ自分がなにをしようと、私の意が天の意と重なることを望んでいるため、必ずその方向へのサポートが差し伸べられるということ。
だから何も心配しなくていいのだ。
好きなことをすればいい。必要ならば必ずサポートが入る。
この道でいいのだろうかと思い煩う必要はない。
どの道を歩もうが、
何を選ぼうが、
それはすべて天の意に沿うこと。
そう思うとなんだかとても気が楽になってきた。
それにしてもあの絶対的安心感の体感は・・・素晴らしかった。
あれがもっと日常的に味わえたらいいのに。
なんだかいろいろ面白いし、興味深い。
生きているって、本当に面白いなあ。
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