やっとここまできた
今日から6月。
新型コロナウイルス騒ぎの間にいつの間にか春は過ぎ去り、初夏に入ってしまった。
ラリーガが6月第2週から再開されると正式発表があった。むろん無観客試合だ。選手たちのコンディションが心配だ。あと10数試合を7月末までに消化するつもりらしく、一週間に2試合の割合でこなしていくのではないか。しかもそれはホームやアウェイの移動込みだから選手の負担はなかなかのものだ。それでも彼らはサッカーが日常に戻ってきつつあるのを喜んでいる。90分フルで戦える選手が少ないとして、一試合3人までの交代枠を特別に5人までに変更して行うらしい。先行しているブンデスリーガでは今のところ大きなケガの噂はないので、なんとか進んでいるようだ。
写真で見る限りではモドリッチの足の筋肉の張りも少し戻ってきている感じだ。よかりし。
今月末で仕事を完全にやめて2年になる。
そしてようやく自分が新たなフェーズに入ってきた感覚がある。
近頃自分が少し変化してきていると感じている。
瞑想していても『楽しむ』ということを大切にする・・・みたいなことを示唆されているような気がしていた。そして近頃の変化というのはその方向へのシフトのような感覚がある。
10数年前に始めてヒプノセラピーを受けた際に出てきたヴィジョン。
山頂で一人瞑想し続ける生活から、山腹で自分が理解し理解してもらえる人たちとの交流生活へと変化し、そして最後は下山して自分が理解しえない人たちの濁流の中に入っていき、やがてなんとか自力で岸に這い上がって、濁流から助けを求めている人たちを引っ張り上げることをしていく生活へと変化していった。
そのことを思い出した。
かつて私はもう下山して濁流にもまれているところと思っていたが、ひょっとしたらこれから下山するのかもしれない。
このヴィジョンは過去生回帰の際に現れたのだが、その当時から過去生というよりも今生の指針のような気がしていた。
そしてこれから濁流の中に入るのであればそれはそれなりに今の自分の心の状態を見ていれば理解できる気がする。そして”人生を楽しむ”というテーマが出てきはじめているのもわかる気がする。
濁流にもまれながらもやがて川底にしっかり足をつけてつけることができるだろう。
岸へあがらないかもしれない。激しい川の流れに必死にあらがいながら立ち続けることも一つの選択肢ではある。
他の人たちにとってはきっと当たり前のことだろうが、私にはここにくるまでにずいぶんと長い時間を必要としたのだ。このエネルギーがほとばしっている濁流にたどり着くまでにとても長い時間が必要だった。やっとだ。やっとここまで来た。
なんだかそういう気がしている。
お疲れ様、なかなか頑張り屋の私。
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