自由について

ある人に私の今生の学ぶべきことは「自由」だと言われた。

自分では比較的自由に恵まれている方だと思っていたので、ちょっと「ふ~ん」という感じだった。


ただ、今になって急に思いついた。

「自由」というのはもっと大きな解釈が必要なんじゃないかなって。

例えば自分の可能性を自由にすること・・・自分で自分の可能性を狭めない。

人間の能力をみくびらないこと・・・肉体を持っている限りはどうせ限度があると初めから諦めない。

他人の視点から自由になること・・・自分の判断、自分の感覚を大事にすること。


考えてみればめざすべき「自由」はたくさんある。

「自由」になって得られることは「軽さ」「軽み」だ。


たしかにもっと「自由」に、

もっと「軽やか」に

生きることは可能だ。


それが今生のチャレンジだというのならそれも確かにチャレンジの一つなのだろう。


いずれにしろ、まだまだ手放していくことが必要だ。


昨夜また瞑想中に光がやってきたので、そのサポートを受けて自分の魂と同調しようとしてみた。私の魂は何を願っているのか・・・。実はよくわからないものだから・・・。


伝わってきたのは、この星への愛、この星の願いがかなうようにサポートしたいという思いだった。ではこの星は何を願っているのか。この星は多くの命を育み、慈しんできた。そしてそれがこの星の喜びであり、誇りであると。だが一方で今、多くの命が危機にさらされている。キラキラと輝く多くの命が消えていくのをこの星は見ているしかないのだと。それをなんとかサポートしたいのだと。


これが真実かどうかはわからない。私に同調できる部分としては真実かもしれないし、妄想かもしれない。どちらでもいいことだ。ただ、この星のことを考えるといつも私の中で感情が動く。なんともやさしい気持ちになるのだ。愛おしく、なんだか胸がいっぱいになって涙が少し出そうになる。何故だろうね。


人にはきっとすべきことがあって、それはやりたいことかもしれないし、やりたくないことかもしれない。流れを起こすためにやるつもりのないことをやってしまうこともあるだろう。


声を聞いたら今度は動かなければいけないのだろう。苦手だと言っていないで・・・。行動にもさまざまな形がある。自分にあった行動の形を選んでいけばいい。


誰も責めない。

誰も批判しない。


流れが私を押し出していくだろう。


そして全てが必然となる。


宙海の音(Sorami no Oto)

ようこそ、宙海の音へ。 ここは「天に在るように地にある」べく、日々暮らしながら、世界が美しいものであふれていることを記録にとどめるためのサイトです。 宙海の音とは瞑想中に出会う空間で、そこでは全ての存在がそれぞれ固有の音を響かせながら 一つの完全に美しい音としてその空間に広がっている音のことです。 どの音もすべて必要な音であり、どの音が欠けてもそれはもう宙海の音ではないのです。

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